講演 Part 2
ただいまご紹介いただきました片山でございます。
ここに演者としてお招きいただきまして、まず申しあげたいのは、歯科界にここまで立派に貢献されました「歯界展望」の関係者の皆様に、僭越ですが読者を代表して、感謝とお礼の言葉を申しあげたいことです。
現在私の手元には、昭和16年から現在まで48年間の「歯界展望」がほとんど全部残っております。私たち医療者の多くは、臨床雑誌によって日進月歩の歯科医学・医療について、学校で受けた教育と同様、あるいはそれ以上に多くのことを学ぶことができました。またわれわれの業績や考え方を誌上に発表する機会を与えられ、その批判の数々は、反省し、研鑽・錬磨する励みとなり、今日の臨床を仕上げることができました。
多くの患者に頼りにされ、同業の皆様のご相談相手にしていただけているのは、まさに「歯界展望」のお蔭、ありがとうございました。本音でお礼を申しあげます。
完全(歯科)医療の実践
私が歯科臨床についてから50年あまり、世のなかはたいへんな変わり様です。その最たるものは何といっても戦争と敗戦、国体の変化、経済的復興でございましょう。
開業当初の昭和10年時代、医療はほとんど保険に関係なく、医療費は全部自費払いでした。医療の内容は、社会医療経済に左右されず、自然科学的進歩の実践を唯一の目標としておりました。だから医者の腕も医療費もまちまちでしたので、患者は医療費を大変心配し、医者選びが非常に慎重で、医者の腕と医療費についての評判を詮索しました。
歯科の患者は「どれくらい長もちしますか?」と必ずのように確かめます。腕と費用を考えての「だめおし」の言葉です。約束と保証の言質を求める言葉と聞くぺきだと思います。しかし、それに答える修復・補綴の長い予後についての知識は、何ら学校では教えられていませんでしたし、また知る術もなかったので、いい加減にゴマカスしかなかったわけです。毎日毎日のウソの連続がまことにいやで、治療処置の予後について正しい知識をもちたいと思うようになり、それが私の開業後の勉強の動機になりました。
臨床関係の図書・雑誌、あるいは先輩方について、予後を尋ねる努力を始めましたが、結局は「その人のその後の使い方」、つまり「生活のあり方による」という答えが一般的でしたし、自分白身の患者について調べた結果も、それに類したものでした。
だから処置効果を長もちさせるには、長く具合よく、壊れず、外れない修復技術の錬磨と、再燃再発を予防する「病因除去の生活に変わってもらうこと」だけしかなく、そのうえ、できれば病因を除去しやすく、効果のあがる修復・補綴処置に変えることでした。
つまり「長もちさせる歯科医療」とは「生活のなかから病因をなくす医療なり!」と見つけたわけです。1. 新歯科医療概念 ―治療だけでなく予防を加える=完全治療=長もちの医療―
(1) 早期発見早期治療と初発の予防教育―院外活動 病因を除去しての再燃再発防止指導―院内活動敗戦前後の十数年は、物資の欠乏と経済の貧困、統制の拡大のなかで、開業医として「国民の体位向上に努力してゆく」ために、特に力を入れたのが「母と子の治療と予防」、すなわち「母子中心の長もちの医療」の実践でした。
来院患者に対する再燃再発防止の実践だけでなく、初発予防をめざした地域住民に向けての院外活動として、「学校の検診」と、昼食後の担任教師監督の元での「むし歯予防の習慣形成」を徹底して行いました。
幼少児教育は、生活習慣の定着と継続実行の意志の鍛練を目標としていましたので、管理監督下で継続して行うことができる時期と場所であると考えたからです(図1)。また「各校バラバラの検診方法を何とかまとめたい」ということなどもあって、学童検診は、地区歯科医師会の任務であるとして、「1校1校医」の制度を変え、地区開業医全員が校医の任務に就き、全校を全員が知ることで、予防活動を統一強化しやすくなると考え、受持校を毎年移動して回る方法に変えましたが、大変なことでした。結果は数年でまた元に戻ることになりました。挫折です。理由の1つに、他科の校医制度を変えられなかったことが上げられます。
当時、保険はまだほんの一部でしたから、検診陵の治療費は自分もち、つまり「健康は自分で責任をもつ」という考えでした。しかし一方でで、教育は管理していく方針でしたので、健康教育としての予防活動の主柱の1つ、早期発見後の早期治療、つまり「学校検診と治療は管理ドに置かなければならない」という考え方から、教育委員会が事業が起こし、その収益で治療費を賄うことを計画し、GHQ大阪支所の教育担当部の後援・援助を得て実施を進めたわけです。しかし組織が漬えたので長続くはしませんでした。(2) 地域的予防教育の強化
そのような状態のなかで、昭和21年10月に保健所法が改正され、母子衛生のなかに口腔衛生がはじめて保健所業務に入りました。厚生省は西日本のモデルを大阪府に、大阪府は豊中保健所をモデルに決めました。モデル保健所の口腔衛生係には、口腔衛生の活動モデルを示すことが求められました。
私の学校衛生活動の実践を当局者が知っていたので、保健所口腔衛生係就任の要請がありましたが、私は「患者をもたない医者はいない」と思っていましたので、「開業を続ける」という条件つきで昭和23年7月に就任しました。
当時の保健所活動は、今と少し違っております。結核、性病などの各種伝染病、寄生虫病などの予防が主業務で、それがWHOの健康の定義(図2)を目標に、学校を中心として地域全般に向けて非常な熱意でもって日夜頑張り続けられておりました。そのなかでの口腔衛生係としての活動目標は「疾病を予防し、健康を保持増進させる」こと。そしてその「健康」とはどういうものか、WHOの健康の定義や諸学者の健康観(図3)を理解、消化して、いかに口腔疾患の予防の実際活動に移すかが問題でした。我が国の教育学は、明治20年代(1890年前後)、F.ヘルベルトの教育理論によって基礎が築かれた。彼は教育作用を管理、教授、訓育(訓練)の3部門に分けた。
教育の究極の目的は、意志の教育であるところの訓育にあるが、年少者に対しては管理が特に必要とされる。図1 年少者の(保健)教育には管理が必要
Health is s state of complete physical, mental and social well-being, and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは。完全な肉体的、精神的ならびに社会的に良好な存在状態であって、単に病いや弱さの存在しないことではない。
Health is s state of complete physical, mental and social well-being, and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、
完全な肉体的、精神的ならびに社会的に良好な存在状態であって、単に病いや弱さの存在しないことではない。
図2 WHOの健康の定義
体内部の均衡状態に他ならない。 (蒲本 政三郎)
巨視生理学的な調和のことである。 (木田 文夫)
身体と精神との両者が協調していることである。(杉 靖三郎)
生体のすべての臓器がよく調和して、完全に機能を営み、生体がおかれている環境によく適応して生活しうる状態である。 (沖中重雄)
刺激と反応とがバランスある状態、つまり多くのストレスの際して、適当に反応(適応)している状態である。
(遠城寺 宗徳)
図3 諸学者の健康の定義
しかし治療専門の臨床医の立場から離れて、敗戦前から予防活動に努力していた経験を生かし、それを継続するかたちでの保健所活動も、自分の診療所で行っているのと同じように、所外活動と所内活動に分けて、来所者(妊産婦)に対しては口腔衛生指導を、所外活動としてはモデル校を中心として「衛生教育を教科のなかに組み入れ実態する」ことを始めまし。その両方の業績は、「豊中市学校保健」「保健所における口腔衛生活動の実績」として残されております。
活動の主目的は、他の係が全部そうであったように「疾患予防」です。予防の第1手段を「病因についての認識を高め、生活のなかから排除すること」としました。そのためには歯垢の停滞のために歯肉炎か起き、歯垢の細菌の醸酸作用で、う蝕症が発生するものだという認識を確実に持たせなければなりません。
それにはまず歯垢が細菌の塊であること、食ベカスがついているのではないということから納得させなければならないと思い、来所者の口腔からみんなの前で歯垢を採取し、その場でその歯垢を顕微鏡でみせて説明を加えました。予防に成功するためには、常時、歯垢を除去し続けることが必要であることを説明し、次に実効の上がる方法を理由とともに指導し、「納得させ、やる気にならせる方法」として実施しました。昭和23年からのことでした。
したがって実行誘導の第1目標は「むし歯予防」のための「歯垢除去のブラッシング」でした。同時に治療を受ける場今にも、自分で病因の歯垢をコントロールすることが出来なければ、完全治療は望めないことと、治療後も病因の再襲を許せば、新しいむし歯や歯肉炎がどんどんできてくるし、治した歯も二次齢蝕によって長もちしないことを理解させることでもありました。実効の上がるプラーク・コントロールの励行を確約させ得るような、実行誘導の指導が目標でもありました。実行・励行を確約させ得る指導が目標でもありました。
保健所歯科の口腔疾患予防を目指した指導・教育の第2の実行誘導の目標は「よく噛む」ことです。食べ物をよく噛んで食べることによって、歯周組織の健康を保ち得ることの理解を深めることでした。食べ物については、母子係の内科医と栄養士が「母親と胎児の健康は、まず栄養を重視することだ」と詳しく説明しておりました。
その栄養指導に加え歯科では、できるだけ正しく調理すること、過剰に軟らかくしないことで、なるべく硬い食品をよく噛んで食べるようにすること。なぜならそれは十分噛むことで唾液分泌が盛んに行われ、消化吸収が完成されること。それに加え歯の自然清掃が行われ、むし歯や歯肉炎を防ぐことなどを納得できるように説明しました。
そして、それにもまして重要なのが、よく噛むことの刺激で、歯の根を取り巻き支えている組織(歯周組織)の血行がよくなり、弱るのを防ぎ、歯槽膿漏の予防が可能なこと、顎関節、頭部、頭部の「こり」がなくなることを理解させる指導でした。
その当時から、よくわかる言葉、決して専門用語を使わないで、納得するまで相手の言葉で話し、質問を引き出すように努めてきました。視覚教材を備えてモチベーションする方法を昭和23、24年からやってきました。ちなみに「モチベーション」という言葉はその当時、保険所内では誰もが口にする言葉であったことを伝えておきます。大変古くからある言葉です。
そのような口腔衛生係としての任務を、歯科医師2名と保健婦1名で受け持ちながら、他方では歯科衛生士養成所の主事として、わが国で初めての「口腔衛生普及の担い手としての歯科衛生士」の養成を兼務で始めていきました。講師陣には、母校の応援を得て、各担当教授が出張講義を受け持ってくれました。
私は実習のすべてを受け持ち、特に力を入れたのは、中学校生徒に昼食後、監督下でブラッシングさせ、むし歯発生の低減効果を調べることと、その裏付けとしてプラッシングによる口腔細菌の消長を、細菌培養の実習を兼ねて調べることでした。
調査結果のデータの作成も重要な実習課目でしたので、実習としてそれらをまとめさせ、口腔衛生学会に逐次報告することで、保健所口腔衛生係の活動方針の基礎作りを続けていきました。その一部は昭和23年に発足した「文部省科学研究費によるう蝕予防研究」に班員、柳生嘉雄の名前で発表し、研究班の業務報告として昭和28年4月に刊行されております。
歯科保健活動を強化し.効果的に進めるには……
以上の衛生教育、保健指導の努力も基礎データの不足からの躊躇いから、不徹底にならざるをえない弱点を含んでいました。
例えば、むし歯発生の特異性の1つとして、口腔常住の非病原弱毒の細菌が、むし歯を発生させる(外界から強力な病因が襲いかかり、発症するのではない)―そんな病気の予防をなぜ妊産婦にだけ向けて、健康増進のために行うのか。その理由については、妊娠、出産の時期にむし歯、歯肉炎の発症頻度が高い疫学的事実があるだけで、なぜそのような時期にそうなるのか、だからどうすれば、どうなったのか?といった予防成果のデータがありませんでした。
チフスやコレラじゃない、口腔常住細菌がう蝕症を起こし母子の健康を損ねる。だから予防するのですが、その方法は、外環境に気をつけるのではなく、内環境的な自分自身の生活を見直す生活の仕方に意を配る―予防とその技術を身につけさせるのですから、他科の予防とは全く異なっているのです。
内観して予防するという方法について、例えばみんなが望んでいる安楽な生活、特にみんなが望む満たされた良い食生活、そのなかに身体を衰退させる病因が潜んでいるということを指摘し、それを自制するよう指導し教育するのに、強力なモチペーションとなる的確なデータがないのです。特に姓娠中、あるいは出産間もないお母さんと子供に、なぜ、特に呼び掛けて注意を与えなければならないのか。その理由を納得させるほどのデータもなく、指導後の予防成果のデータもないのが実態でした。
ブラッシングによる鵬蝕予防データも、日本人についてはまだ出ておりませんでしたし、特に幼少児のブラッシングによる低減効果についてのデータ、あるいは歯列不正を予防するための顎発達についてのデータもありませんでした。中央機関の予防研究所にも歯科部はなかったのです。
また、来所者に対する追跡調査ができなかったことも、指導を弱体化していきました。このような難点を含んでおりましたので、非常に心許ない仕事でもあったわけです。
今後は、このような教育指導を成功させる疫学的、細菌学的、生理学的、基礎的なデータの提示が望まれます。
出産後の母子保健指導は、子供については生後1年半、3歳児、5歳児の時期に、子供についてだけでなく、母子の歯科検診として継続して行い、その後は地区の小学校、中学校に連携をとって継続して管理を続け、母親に対しても保健所と学校で、PTA活動の重要な柱として継続して検診と指導を行うべきだと思います。
そのように出産後の母親に対する検診と指導をしたとしても、検診後の受診について、その時期と内容など、管理が重要ですが、現在はまだその状況の把握については不可能です。保健所と地区開業医の連携が望まれます。
指導要員(歯科衛生士)養成のレベルアップと指導の機会及び場所の増強
そのような中で予防活動を実施してゆくのに、歯科医師が専任され行動しますか。幼少児を対象とした場合、何としても婦人の補助が重要となります。看護業務に熟達した保健婦が行動を共にしてくれてはいるものの、歯科で勤務した経験は皆無ですので、保健所勤務のすべての保健婦さんに歯科予防業務について講義をし理解を得ることから始めなければなりませんでした。保健婦諸姉も、新しい方面の知識と技術を身につけることを非常に喜んで、興味を持って進んで協力はしてくれておりました。
しかし、何としても「歯科専属の保健婦がついてくれたら」という思いは、仕事が広がり年々継続していく間に増々つのるばかりでした。そのような時に歯科衛生士の養成問題(昭和23年7月歯科衛生士法成立。24年から養成機関の設定探しが始まる)が降って湧いたので、「なんとしても」という気持ちになり、出身母校に相談して、学長以下、教授陣から満腔の賛同を得て、歯科衛生士の養成を引き受けスタートさせたわけです。
保健所で健常者に呼びかけて教育し、予防する気にさせられたとしても、その後継続して管理ができないのであれば、効果の上がるまで励行し、生活習慣として定着させることはまず望めません。そのただ1回きりのやりっぱなしの教育指導は、はかなく無駄なことです。定着させる目的を実現可能にするためには、それを必要とする切実な欲求の基盤の上に「繰り返しと励まし」の「時間と監督指導」を必要とします。
自身を健常者と思っている保健所来所者に対する教育指導は、「お遊びに等しいのではないか」と考えるようになりました。
治療の場で患者に予防を教育する重要性と予防生活定着の可能性
治療のときに予防の指導をして、その実行を監督すれば効果が望めると思い、保健所と提携しながら予防と治療のコンプリヘンシブな医療を行い、そのような新しい医療モデルとその効果を一般に知らせることができるのは、保健所と連携しながらの公的医療機関の歯科部であると考え、了解を得て豊中市立総合病院の歯科に転出しました。
保健所活動の(以上のような教育指導の基礎データの薄弱さからの)指導力の弱さ、手応えの弱さ、そのうえに生活改善と習慣形成のために必要な期間、少なくとも数年の継続指導・管理期間がもてないこと、したがってすべての指導結果を追跡調査してみることができない、そのやりっぱなしの虚しさ、それらをなくす方法として、治療の場では、治療のための数回以上の機会に、治療と同時に、再燃再発防止のための方法と、定期受診の必要性を教育すれば、習慣定着するまで数年間監督指導することも、成果の状況を知ることもできます。
そのような診療を確立して示すことが必要であることの了解を得て、病院歯科に転出したのでありましたが、公立病院では健康保険以外すべて無料、予防についてはやればやるほど、希望者は増えるが、診療実績は停滞することになります。
他科の一部、特に口腔疾患に関連の強い科、小児科、耳鼻科などは、予防の必要と予防活動の取り入れを理解、援助をしてくれ、そして,「自分たちも」と共同作業ができあがりました。しかし患者の増加に見合う収入は上がらず、したがって人員は噌やせない。特に歯科衛生士は入れてもらえず、病院側と摩擦が生じるようになりました。
そこで、昭和33年、「公的病院の限界がみえた」と思ったので、自分の力でやるしかないと考え、全日開業に戻ったわけです。
2. 歯科医療の目標(理念)達成をめざして
(1)「一生自分の歯で食べられるようにする」には、新しい歯科医療の枠組みが必要
―従来の歯科医療を変革しなければならない!ー
公的機関で働いていた10年間に、感染性疾患は急激に減少しました。しかし、弱毒菌による感染症と、いわゆる成人病(昭和31年厚生省命名;脳卒中、虚血性心臓病、動脈硬化、高血圧などの循環器疾患、ガンなどの悪性新生物、糖尿病、慢性肝炎、肝硬変、慢性腎炎、痛風など)が次第に増え、むし歯の増加とほぼ似たような増加傾向を示してきました。
そこでこれらの疾患の病因は、日常生活のあり方のなかに生まれ、そのあり方に左右されることが重要な問題として浮かび上かってきたわけです。そのなかでまず、食生活と運動不足の問題が取り上げられ、注目されるようになりました。
歯科では戦中・戦後を通じて、食生活の急激な変化、特に文明食といわれる加工食品が病因を生み、その増加が疾患の多発を増強するとして注目されていたので、増発するむし歯を予防するために、食事とブラッシングの指導強化に努力していたことは前にも述べたとおりです。
当時の食事指導の定本は、昭和16年に東大農学部より発刊されたE.V.マッカラムの『栄養新説』でした。なかでも歯科関係の問題はそのなかに引用されていたW.A.プライスの業績でした。ずっとあとで知ったことですがW.A.プラィスは1939年(初版)「Nutrition and PhysicaI Degeneration」という本にすべて業績をまとめて出版し、アメリカ歯科界に大きな影響を与えておりました。私はぜひこの業績を日本に広めたいと思い、昭和53年に全訳自費出版しました。(図4a〜4j)
図4a,b
「食生活と身体の退化―未開人の食事と近代食・その影響の比較研究−」
と言う書籍は、1890年カナダに生まれ、後にアメリカの市民権を得て、歯科医としての生涯を全うしたWAプライス(DDS.M S,)という先生の「Nutrition and Physical Degeneration—A Comparison of Primitive and Modern Dies and Their Effects」を翻訳したものである。本書は、世界14カ国23万kmに及ぶ未開種族(当時)を訪ね、近代文明の、特に食生活の急激な変化に接した原住民の実態を、口腔だけでなく、身体にも及ぶ頽廃の状態を記録して近代文明の陥穽を鋭く捉えた警告の書である。
原住民が急激な食生活の変化を受けるとまず顎と歯が無茶苦茶になってくるということをスイス、アラスカ・エスキモー、北米インデイアン、マオリ族など14種族によって、変化を受ける前後の状態を比較して写真で並べて示している。また、食生活の変化と身体の退化を検証してゆく1つの方法として、家蓄で実験している(図4g〜4j)。
そうすると、こういう結果が出てくるわけである。(2) 診療所での完全治療
治療と再燃再発防止の指導(予防教育)
公的機関ではこれ以上しようがない。市民全体に、あるいは地区開業医全体に新しい診療モデルを示すことはできないが、自分で自分の所でやるしかない!」という決意をもって、昭和33年、10年ぶりに終日開業に戻ったわけです。
昭和30年代以降、次第に平均寿命の伸びが明らかになり、高齢化社会に突入しようとしているとき、そのことが私の具体的医療目標の「歯の寿命を30年延ぱせ!」になったのであります。
現在成人病が次第に低年齢化し、高齢者に寝たきり・ボケ状態が増加してきています。そのためわが国の高齢化社会の政治課題として、福祉、特に老人医療が重大な問題となり、その財源確保のための消費税が大きな政治問題となっています。
老人をボケ老人とか寝たきり病人にしておいて、何とかしていこうと、その財源を一生懸命考えているわけです。しかし、そういう老人を1人もいないようにすることをなぜ考えないのか。これほど多くの医療関係者がいるというのに! 私は、それはできると思います。
歯科はどのような役割を果たせばよいのか。日本歯科医師会がいう「一生自分の歯で噛もう」というキャンペーンを実現させることです。私がどのようにやってきたのか、本日はその一端を見ていただきます(症例)。
抜ける歯を抜かずに助け、食べる楽しみを与え、老人に生き甲斐を!
要は、歯科医師会が掲げる「一生自分の歯で食べられるように」という目標を歯科医師の社会的任務として、自分の受け持っている1人ひとりの患者の生涯に、自分がいまここでどうすれば任務が果たせるのかを考えることです。また地域住民に対しては、「一生歯なしにならないように!」するには、どうすべきなのかを考える。
つまり口腔衛生、口腔疾患予防について理解させ、広めるために、どのように努力すれば任務が果たせるか、私のやってきた跡を総論的にお話ししました。
また一方では、「歯の寿命は50年」などといいます。寿命80年との30年のギャップ。それこそが大問題で、そのギャップはいったいどうすれば無くしていけるのかという問題については、「私の歯科臨床」の各論的一端をスライドで示します(症例)。
症例1:74歳 男性
症例1:74歳 男性
74歳の男性です。私の話を聞きたいと知人が同道してこられたお客さんです。「これをみてもらえばわかりますでしょう」と、X線写真と歯列模型を自分で
もってこられました。
「私は食べ物に関心が強い。歯の健原と長男について、また食生活の指導のあり方について聞きたい」と、ブライスの本169〜171頁)を読まれてみえました(「歯の健康と長寿」に関するデータは少ない)。欠損は1歯。私はこれこそ完成された姿、まさに健全だと思います。
みると咬合面のエナメル質が咬耗されてなくなっていま。いまでも硬いものが好きで、スルメ1枚丸ごと食べてしまうこともあるといわれる。またどの歯でも、髪の毛1本を噛み切ることかできるともいわれる。「ご立派」というしかない。
この客人の歯列模型をみせていただいて、デンチンの硬化は?う蝕免疫性はいつ、どうしてできるか?などを知ることができれば、咀噂指導などに強力に役立てることができるのにと思いました。
またこの咬粍歯列についてですが、臼歯那に貴金属合金の冠か入っています。これがもしもっと硬い冠が入っていたとしたら、健康が保てますでしょうか。私は非常に危険だ、貴金属の修復であってよかったと思います。
客人の口腔状態をよくごらんください。74歳の日本人の健康像を示していると思います。これは本人が自覚しておられるように、硬いものが好きで、伝統的な食事のあり方をできるだけ守っておいでになるということで、それで保てているということです。
「ブライスの本を通して自分の生い立ちを見直して、食べ物を選び、伝統的食事を守って、硬いものをよく噛んで食べるように、と指導する際に、自分の
状態を参考にしてください」と申し出られたのでした。
その後、1本も悪くならないで、82歳で癌で亡くなりました。
ー 症例2:76歳 男性 ー
症例2:76歳 男性
76歳の患者さんです。この方が持参されたのは、義歯15組でした。70歳以後の入れ歯5組が右下の写真です。有名人の苦心の作ばかりでしょうが、患者本人の苦労も偲ぱれます。
この人は60歳で「1本ナシ」になりました。60歳から70磯までの10年間に、14、15回総義歯をつくりかえましたが、なんとか使えていたといいます。
しかし70歳を過ぎてから「噛めない」「話しにくい」で、イライラが嵩じて結局よくなかったんですね。
そのときはまだ有名会社の会長さんでしたが、思うように働けなかった、その1つに入れ歯の不具合があった。実はその他の問題のほうが大きかったのだと思いますかが、それが入れ歯に凝縮されたように思います。
この人の他にもたくさんの入れ歯患者。機嫌のよくない老人の患者さんを知っています。中には入れ歯を苦にして自殺しようとした人もいます。その人の入れ歯を治して助けたこともあります。
この患者さんには、不用義歯の1組を直し、吸着を完全にし、歯列咬合・咀嚼を快適に変え、満足してもらえました。しかし前歯部のフラビー・ガムのために齧れない。それを「そのままで齧れる義歯かできる」とどこかで聞いて、またそちらへ・・・・・それで、この方は8O歳にならずして,だいぶ変になって亡くなりました。情なく残念なことです。
入れ歯患者の老後は総じて悲惨です。それをいちばん知らないのが歯医者だ!と思っています。こういう悲惨な入れ歯患者をなくして、若い人手を煩わさず、金をかけずに老人たちに社命的に楽しく働いてもらうようにするには、どうしたらよいか、現在の目標はそれなんです。
WHOの全き健康、completeの意味です。
私は4歳から10年間、年寄りの手で育てられました。だから老人をよくよく知っている1人だと思っています。老人を知らない若い人に、老人の相手は苦が手です。
患者さんは老人だけではありません。若い患者の歯をボイポイ抜いて、総義歯にしてしまってから「老人を楽しく働けるように……」と、しかし「1本ナシ」になった人を、よくするのはむずかしいのです。だから若い人は若い人を相手に、この人の歯を生涯1本もなくさせない」ようにする目標をもって、早くからあらゆる手を打つように働きかけることです。
いちばん大事なのは、何としても子供ですね、だから私は開業してからずっと長く、子供の治療と予防に一生懸命になったわけです。そして保健所活動にしても、歯科衛生士の養成を始めたのも子供の治療にそれが不可欠な共働機関・共働者だと思ったからです。
歯科衛生士は子供の治療を助けるだけでなく、子供を生み育てる若い両親の指導に、また相談相手、苦労話の聞き役として馴染みやすいのですから、うってつけの働き場所と思います。
3. 新治療概念―完全治療の枠組
私は開業当初の50年も前から、医療のあり方について.「対症療法専門医とでもいうような医者の治療だけでは患者は助からない。何とかして再燃再発を予防しなければ………そんな医療に変えなければ」と覚悟していました。そのような医療は病因除去の完全治療で始められなければなりません。
その治療の第1歩は、患者自身の病因認識です。主治医はその人の生活(環境との接点)を見通し、病因がどこにあるかを明らかにし、患者はその病因を納得して認め、治療者の処置による病状回復状況から導かれた、そのときの最良の病因除去方法の提案を同意して受け入れ、十分な介護のもとで、次第に、できるだけ自分の努力で病因を排除しながら、治療者の行う病変改善処置に協力する―そのような「患者治療参加」の治療(完全治療)でなければなりません。
また治療後、一応の回復のあと、再燃再発予防(防止)のために、病因除去の生活が定着、持続していなければなりません。治療(完全治療)の期間にその定着が確認できないようであるならば、「予防(=病因除去)と治療の合体(完全治療)の実践が医療考の任務である」との考えから、一応の回復の時点で、手を離すのは無責任となります。
だから、治療後も引き続き、病因除去の習慣(新生活)の定着を見届けるまで、治療は延長され継続すべきであると考えなければなりません。
そこで、たとえば「修復・補綴物のセットは終わりではなくスタート」とする考え方や、一応の回復処置は完全健康獲得へ向けての準備処置であるとの考え方が生まれます。
そのような新しい治療概念のもとで、従来の対症療法的治療を完全治療の準備、初期段階ととらえ、位置づけ、その後長く「健康指導主事的役割」を受け持つ顧問医として、払の診療所で、歯科衛生士と共にやってきました。
そして、それら臨床実績の一切については、昭和56年、8年前から4日間、30時間の私のセミナーで、約45症例、1,400枚のスライドで、その内容を十分見届けられるように、またどうすればそういうことができるのか、各論の一端についても見聞きしてもらっております。
現在では、セミナー参加者は2,500名以上になっておりますが、その技術的内容は、まとめていいますなら、「私の自然良能賦活療法」とでもいう療法なのです。
今日は、ここであと1時間、数例についてご覧いただきたいと思います。
図4c
両親も子供も適切な栄養を摂っている場合。顔や歯列弓はこのように正常である。よく発達した鼻孔にも注目してほしい。
図4d
スイスの中でも近代化の進んだ地域では、虫歯は途方もなく進む。左上の少女は16歳。右の子はそれより年下である。2人は精白パンと甘い物をたっぷり食べている。下の2人は叢生状態にあって、歯列弓の形がひどく悪い。この歯列不正は遺伝によるものではない。
図4e
典型的なアラスカ・エスキモー原住民。顔と歯列弓の幅が広いこと、虫歯のないことに注目してほしい。左上の婦人は下の歯が1本折れている。彼女には26人の子供がいるが、子供たちには虫歯が1本も無かった。
図4f
アラスカ・エスキモーが白人の食べ物を口にすると、虫歯が進行する。
ひどい歯槽膿漏になることも多い。多くの地方では歯の治療を受けることができないので、痛みも強く長引く。図4g
上の豚はビタミンA欠乏症の母親から生まれた59匹のうちの1匹で、生まれた時から眼球が無く、その他にもひどい障害がある。
下の図Aは、生後9ヶ月の豚の正常な眼である。図Bは 、眼球の一部と視神経であるが、これは交配2週間前に1服のビタミンA剤を与えた豚から生まれた子豚そのものである。図4h
左上:口蓋裂とみつくちの少年。右上:口蓋裂で眼球の無い豚。下:えび足、耳の異常、2つの腫瘍、眼球欠如の豚。これらは母親の食餌に十分なビタミンAが欠乏していたために起こったものである。
図4i
最近の飼育動物には奇形を持って生まれるものが多い。左上は口蓋裂の子犬である。前の2回の出産で生まれた子犬はすべて奇形を持っており 、生き残ったものはいない。右上の豚はヘイル教授が飼っていた豚の1匹で、みつくちである。下の左右の写真は目の見えない2匹のえび足の子羊である。
図4j
この子犬は上の写真から分かるように口蓋裂に罹っており、下に見られるように脊椎が大きく奇形している。これは同じ障害を持って生まれた同腹の2匹の子犬のうちの1匹で、4組の子犬たちのうち同じ障害のある5匹の中の1匹である。5匹は母親は異なっているが、父親はすべてみな同じだった。
症例3:5歳〜15歳 男児
5歳
5歳〜12歳
5歳〜11歳
5歳〜15歳
13歳
15歳
症例3 5歳〜15歳 男児
この5歳の子供はすでに喪失 歯6あって、こういう処置をしなければなりません。その際、この修復材か硬すぎたらどうな るか硬い修復材でもいいのは、 どんなときか子供でもよくみますが、エナメル賀が飛んでしまってデンチンで噛んでいるような場合、同じような硬さの物を使うべきか。これは問題です ね 。 X腺写真をみてください。右下DEを損管処置をして6年経っ て11歳。根の状態か変わってますね。Dの根は全部吸収されている。
充填したガッタバーチヤ・ポ イントがちゃんと吸収してなくなってますね。こういうことを私は早くからみつけておりましたが、それをいうと当時は気違 い扱いされました。しかしX線写真を5年も保管して、じーっと眺めていればすぐわかることです。しかしどういう機序で、 どのようになっていくのかとい うデータは知りません。
またこのときの修復材ですが、咬粍しないような硬い材貿だったらもっと早く、ちょうどよく吸収されるのか、またそれには関係しないのか、データはあ りません。学者の先生もたくさんいるのですから、誰か調べていい方法を、理由とともに発表して欲しいものです。
「ペーパーの少ない先生は月給ドロポーではないか!」(梅棹 忠夫著「情報管理論」から)と いう人もいるんですがね……
乳歯根を吸収し、ついでに ガッタパーチャ・ポイントまで 吸収するのも、同時に一方では、どんどん歯芽が大さくなってエ ナメルをつくって、歯冠部がで きて根っこをつくっていっているのも、その周りの骨が微妙に変わりながら、やっているんじゃないですか。
溶かすのも、拵えるのも時々刻々やっている歯周組織(?)。
それがうまく働かなければ顎も小さくなってしまいます。一体どうしたらそれをうまく働かせるように導けるのか?そのための治療処置は?特に修復は、どんな方法かよいのか?
顎の骨、歯槽骨の回復・発育 の誘導は、ここのところから考えていかないといけません。年をとってから歯槽膿漏の治療で、歯周組織や骨がどうのこうのといってみたって、対応が遅くて根本が抜けているように思いま す。
患者が40歳、50歳になるまで歯槽骨と歯周組織の病理・ 生理について一切知らせないで、現今の文明(横着)生活を綬けさせ、それらをヤワヤワに弱体 化させておいていいものか。そのようにさせないように守っていく教育と指導をするのは誰の役目なのか。それは歯科医師の重要な社会的任務だと思います。 それを立派に治療の現場で果たしていけるはずです。
乳歯の治療のときから始まって、その他すべての治療の場合に必すやるべきです。でなければいかにビカビカ真っ白い歯を入れて、そのときだけ喜ばれたとしても、その人の「生涯を健康にする医療」からみれば 、結局弱体化促進の医療で、「それ は手抜き治療だ」といわなければなりません。
しかし、今の医療制度ではそれができるでしょうか。またそんなことを考えたり、やったりできないようにしているのではないでしょうか。
症例4・5
症例4:20歳〜45歳 男性
症例5:20歳〜36歳 男性
初診時
19日後
40日後
初診時X線写真
2年4ヶ月後
6年半後
左:初診 中:2年4ヶ月後 右:6年半後
16年後、アメリカからの報告
同じく、アメリカでの審査記録
症例6:20歳〜36歳 男性
この人も症例5と同じ20歳 ですが、こういう状態です。歯間が開いているのは症例4と同様に、健康で開いているのじゃない、病気で開いたんです。症例4と同じような年ごろ、つまり12 、13歳頃というのは、思春期性の精神的、生理的、社会的ないろいろなディスターパンスに出くわして悩むことか多いものです。そういう12、13歳頃に多発する歯肉炎、これがコントロールできなくて続いたら、こんなになってしまう。
この患者は12.13歳頃からずっと歯医者にかかっていた。 そして20歳になって、こうなって、「全部抜かなきゃいかん」 と、前歯だけじゃありません。 全顎抜くといわれたのです。理由は、「回復不能で早晩、全歯脱落」「顎堤保存のため早期抜去の必要あり」…で、「全部抜去が必要」とのご託宣。
X線写真を見てください。下顎前歯はこういう状態で、もうほとんど抜けている。上顎前歯もこういう状態で手術で回復できるか、手術して開けば下顎前歯は抜けてしまうでしょう。第1大臼歯もひどいものです。 臼歯部、犬歯はまあ割合いい、そんな状態です。
暫間固定をして19日目と40日目、それと6年半後の写真を比べてください。この骨が6年半後にこんなに回復している。 歯肉の状態も変わっています。 初診は20歳だったのですが、2年2カ月後にアメリカヘいっちゃって、渡米後4年ほどして、おじいちゃんにお孫さんを見せに帰ってきました。そのとき早 速やってきた。
186頁の2年後と6年半後のX線写冥がそのときの状態です。
唾石が歯間を塞いでいます。少し悪い部分もありますが、歯槽部は歯肉もろともスキャラップ状になって、よくなっています。
臼歯部にしても、ほとんど何もしないで、こんなによくなっています。
それから10年、初診後16年に、ひょつこりとX線写真など(187頁)を送ってきました。それまではアメリカで歯医者にかかったことがなかったんですが、
奥さんの従兄弟が歯医者になったというのでこういう状態であると知らせてきたのです。
ポケットが7mm、5mmのところもあります。だけど全部残っております。これだったらまあまあというところです。再燃再発なく16年経ってます。
第2症例で見ていただいたご老人。60歳で歯なしになり、70歳で噛めなくなり、75歳で少しおかしくなり、78歳、早均寿命前に亡くなったお気の毒なご老人。そのご家族のご苦労。こんな例をたくさん知っているので 20歳で総義歯にしてしまったら、そのあと60年間をどうするか。私は気になってしかたがないのです。
生涯の最善の方針を立てて、そのなかで、今できる最善はなにか? 取り返しのつかないことにならないか? 時間のリミットに迫られ「決断は困難」です。しかしどんな曝合でも、「相手(患者)の生涯のため」によく聞き、調べ、話し、納得づくで決めるしかないと思います。
症例7:62歳〜82歳 女性
初診時
5年後
20年後
症例7:62歳〜82歳 女性
この患者さんは62歳、初診なんです。62歳からでも、何とかして歯を守り通さなければならないのです。第2症例を思い出してください。ウロウロと歯医者さんばっかり回って、大きなブリキの箱に入れ歯をいっばい入れてもってきた患者さん。60歳で1本もナシ。「それで普通だ!歯の帰命は5O年。だからよくもったほうだ!」。そんな間違った考えではあとの30年、社会的に大変なことを歯医者が仕出かすことになるのではありませんか。
この患者も62歳の今、1本ナシになりかけている(初診時の写真)。この処置をしてくれた歯医者が「これをみんな抜いちゃえ」と言うんですね、というのはこれをやってもらった時すでに、「全部抜いて、総義歯にしたほうがいい」と言われていたのです。それを「5年もてば結構です」と頼み込んで、これをやってもらったんです。それで5年後こんなになって、いよいよダメ。だから本人もほとんど諦めて、「総義歯だったら、片山先生にお願いしたい」と、義歯患者の紹介でこられたのです。だが「5年もたせる方法があればやって欲しい。それ以上には寿命がもたないから望まない」「抜けているところは、取り外しの入れ歯は嫌」とのこと。私のいう治療義歯で残存歯治療の期間に、取り外し義歯が嫌でなくなり、取りつけよりも取り外し義歯を希望するようになりました。
初診時のX線写真でおわかりのように、下顎2|23(1|1はダミー)は完全に抜けています。左下6の近心根、左下7の遠心根も抜けています。左下5の残根をどうするか。歯肉縁下まで軟化して、根尖に病巣をもっている。しかし保存できます。そして保存して、いま86歳(平成2年)。こんな状態でも24年、立派に役立っています。
治療後の長期観察の重要視点として、歯外(歯周組織)治療後と歯内(歯髄組織)治療後の2点があることを、このケースで指摘しておきたいと思います。 問題は右上5の根端病巣です。10年後に動き出した。すんでのことにジニーティス。長年継続してみているといろんなものがみえてきます。乳歯根管処置後に歯根もろともガッタパーチャー・ポイントまでが、どんどん吸収されていくケースだとか、治療良好だったのに9年も10年も経って動き出した。うまくみつけられたので、再治療で回復して、その後十何年役立っているとか、誰も教えてくれない大事なことかわかってきます。定期検診しないで、痛むまで 放置していたら全部ダメになっていたでしょう。継続して記録し、それを比較し、意味を読む。 少なくとも10年以上の時間の流れのなかでの変化の意味を知ることで、未来が予想できるようになります。
そういうケースをもてない間は、患者に先人の業績と意見をみせて伝え、自分の結果はそれに劣るかもしれないことを伝えておくと、信頼をなくす心配が 少なく安全だと思いますよ。
14年後の写真をご覧ください。一般に抜いてしまわれる残根だとか、膿漏歯も、私はほとんど助けられると思います。なぜ抜くのか?と思います。何かの意図があって、歯医者ガ1本ナシの総義歯患者をつくっているのではないかとさえ思いま す。まさかボケ老人や寝たきり老人をつくろう、という意図があってのことではないと思いたいのですが。
しかし総義歯で非常に因って、もう暴れ回ってというか、歯医 者を歩き回って……そのときはまだボケてはいないのです。だけど「もういい加減にしなさいよ!」とか、「そりゃダメですよ!」と諦めさせられると変になってくる年寄リが「そりゃムリだ!やめたほうがいい …」といわれ、「なにクソッ!」 といっている間はボケません 。だけど「諦めなきゃーいかんなあ」というようになって、抑え込まれてきたら「ウンコでも塗ってやれ!」とこうなる。
老人治療をよく考えなければ、 ボケが始まるんですよ。それが20年続いてごらんなさい。家族の若者がどんなになるか。歯をポイポイ抜いてしまって、下請け製の入れ歯を入れて「こんなものですよ一、馴らしなさいj 「諦めなさい」と言われたのでは糞イマイマしくなって、塗りたくるようにもなりますよ。それか非常に多いと思います。だから歯を植かないことが、どの点から考えても非常に大事だと思うんですね。それと同時に、今見ていただいたように、抜かずに保ってあげれば、患者がずっと自己 検診を受けにやってくるのです 。
その結果、みんなびっくりするほど長もちします、そのうえ健康です。どうしても抜かないことか大切だと思います。
4. 機能と発育(成長と健康教育)
次に歯と骨、歯周組織ですね、この関係を考えてみます。この問題については、歯が機能しているために骨が歯をだんだん大きく造ったり、前の歯の根っこを溶かしたり、溶かした色々なものを、拵える方の側にもっていって、それで拵えているのかな―というように考えてみたり、色々とよくわからないところがあります。
しかし歯というものは栄養をとるために機能して、その機能の反作用を歯周組織が発育動機の刺激として受けて、成長・発達しながら、次の永久歯の根っこを成長、発達させているわけです。主に変化しているのは顎の骨です。その刺激を与える咀嚼機能をしている乳歯のほうは、どんどん齧りとられながら消えてなくなりながら噛む。機能し続ける。それができるように治療し、回復させなければならないわけです。
また早くから抜けている歯肉の場所でも噛んでいます。その刺激が顎骨の発達・成長(老人の場合は消失)にどのように関係するのでしょうか。
歯周組織の生理と病理、この時期には成長を援助するための回復の処置が必要です。その処置の組織賦活作用と成長阻害作用、病因除去のための生活改善指導のあり方など、総合的な配慮が必要です。またそれにも増して必要なのは、精神的な面への配慮だと思います。刺激してもtraumaを与えない。決してダメージを残さないことです。
子供の治療では、抑えつけたり、括りつけたりはしません。まして全身麻酔や局麻もしません。親しみ、信頼だけです。そこのところに、何度も繰り返し申しますが、女性の適切な介助が不可欠なのです。
治療がうまくできるように、その場での努力も必要ですが、乳歯の治療は永久歯の治療の場合よりも、一層の注意が必要であることを、母子ともども理解するように健康教育する場が必要です。そこでも(前にも述べましたが)歯科衛生士が適任だと思います。(1) 営養と栄養素材
歯が機能することが刺激になって、歯みずからが変化・発達しながら(したがって咬耗も発達と考えられる)他組織の発達を受け持ちますが、咀嚼の刺激を受けて発達していくためには栄養素材が必要です。
栄養というのは元々、その個体が成長・発育していこうとする生命力、発達していこうとするその組織細胞のDNAの指標に従って栄養素を取り入れています。これが営養で、これは主に身体の内部環境で行われている営みを指しますが、その営みはそれに役立つ物質が入ってきてこそ、うまく養う作業が営まれます。両者がうまく合った結果として体を栄えさせるわけです。その入ってくる物は栄養食品などといわれます。その物は「栄える」という字と「養う」という字を書いた「栄養物」「栄養素」などです。そのほとんどは食べ物として口から入ってきます。
しかし栄養になるものは、口から食品として入ってくるものだけではありません。息をしなきゃー死んでしまいます。だから空気が一番の栄養品かもしれません。
そういうふうに考えると、三大栄養素というのは太陽の光、水、大気圏の空気ではないでしょうか。だから耳や目や鼻や肌がダメになってもいけないのです。われわれは自然や文化というもののなかから、いろいろの入り口を通して、命の栄養を与えられているのです。
そのように刺激を受け、反応し、機能し、機能からの刺激で栄養を取り入れる―機能と刺激と栄養とが、うまくパランスがとれてはじめて、健康になるのだといえると思います。
健康に生きるために外界から取り入れる栄養を考えるとき、もっと広く、精神についても、また一方では組織について、細胞についてと細分した栄養を考えないと、指導はまちがいなくやっていけないと思います。食品の栄養素についてだけでは片手落ちです。栄養素を取り入れる力が「どうして弱まってしまうのか」「取り過ぎたらどうなるのか」などをよく知ったうえで、食事指導をしなければならないと思います。(2) 文明と文化(食品)と健康
その人が栄養を取り入れようとする外界は、人それぞれに異なりますし、取り入れ方も能力も異なります。取り入れやすいように方法を考え、その人の能力いっぱいに取り入れようとします。そのようにして文明が興り進歩します。
文明の一面は、「安楽に取り入れようとする」「横着しようとする」ということです。刺激と機能の間を、横着する文明がはびこり、人間の反応を鈍らせます。本当のいいバランスを崩したりもします。しかしそういう文明ではなく、健康にちょうどいい、その場所の多くの人にちょうど良い文明、それだけが定着して残ればいいわけです。そしてそれが文化だと思うんです。
伝統の文化食を捨て、いき過ぎた文明食に急変すると、健康のバランスを崩してしまいます。だから食生活をはじめとして、今の文明が本当に顎と歯の発育をうまく維持・増進していけるような状態にあるのかというと、どうもそうは思えません。便利、横着、手抜き、怠けが病弱者を生み、その反対のちょうど良い程度が健康を生みます。
そこでまず文明にどのように対処するのか、どう取り入れていくか、といった文明批判、叡知が必要だと思うのです。その上で健康な姿を心得ていなければなりません。エナメル質が飛んでなくなったような症例Iや症例5に見られるような歯間空隙や顎あるいは歯茎です。そういう健康な姿を知ってはじめて、病弱者を健康に戻し、健康を保っていく相談、指導ができると思います。
子供に対する指導では、よく噛ませるようにする方法などの具体的な問題は、個々の子供の状態、親や家庭の状態などによっていろいろ違いますが、保育教育で最も必要なのは、やはり愛情と感激ですね。その愛情には色々あります。エロス、アガペー、フィリァ、愛情の表現の仕方もいろいろです。同じ問題についてでも、お父さんとお母さんとでは、子供に示す態度が違います。だから治療室で子供さんを指導してゆくときに、母親役が欲しいのです。
なぜ看護婦というものが早くから治療の場で重要視されて医療を分担しているのか、この根本も同じで、さらに医科よりも歯科にこそ必要だと、私は歯科衛生士を重視しているのです。だから、患者に対する「のめり込みの同情」「無償の愛情」というような気持ち(sympathy)の持ち方ができる、それに成り切れるような人でなければ職場では役に立たないと思います。優しい女性の歯科衛生士にいちばん働いて欲しいのは、やはり子供の治療の場面です。そういう女性の役者がいないと人生劇は成り立ちません。
くどいようですが、ブラッシングを子供に教える、その教え方、方法、それだけが問題ではありません。子供に信頼され、治してもらうためには、母親よりも頼りにされるようでなければなりません。その元となる「この子を好きになる」ようにするにはどうすればよいか。こちらが先に好きになるには、まず「のめり込みの同情」の感性を育てることです。ブラッシング指導のテクニックなど、そんなことは枝葉末節、ハシッポもハシッポ、とやかく言わないでもできます。
子供がこちらの感情をすぐ、モロに受けて、同じように「好き」になった「相手に喜んでもらいたくて「喜ぶことをやってみせたい」。その感情から「やった結果をみて欲しくて、一生懸命頑張る」「とても喜んでもらえた」。だから「本当にやりたくて、そしてやるのが楽しみ」で、というようにさえなれば、少々まずい方法だって成績は上がります。
症例3の子の場合、乳歯晩期残存で生え変わりは遅くなっていました。そして、まだ少し歯垢が残っていましたが、5歳から15歳までの10年間に、永久歯が正しく生えて並んでいます。顎と歯並びをつくりあげることができました。そういう症例です。長もちの歯科医療
私は昔、患者に「どのくらいもつんですか」と尋ねられて、いい加減な返事をしました、ウソをつきました。多額の費用がかかるときや、苦しさを我慢しなければならないときほど、患者はみな長もちして欲しいと思うものです。そこで「長もちする」といえば商いものを買わすことができます。我慢させることができます。しかしその後ですぐウソとわかります。そして「長もちのウソ」「予後のだまし」というのが、いちばん歯医者の信頼をなくしています。
そんなふうに騙されて不信感をもった患者が転医して、自分のところへきているのだと、開業当初から思っていましたので「長もちさせるためにはどうしたらいいのか」「どうやれば、どのくらいしかもたないのか」。それを知るために、それまでのイグザミネーションをやっていたのとは違う、ドキュメンテーションを始めました。
当時はdocumentationとはいわず、アナムネーゼ(既往歴採記)として、回り回ってきた患者の口の、処置がしてあるすぺての状態を克明に観察記録するだけでなく、「いつ治したんですか」「治したときの状態はどうだったんですか」「その後、具合はどうですか」「治したあと、また悪くならないように、なにかやりましたか」と、昭和11年ごろからドキュメンテーションを始めました。
これから治療しようとする前に、予後を知ろうとするだけではないのです。治療後の再燃再発を「いつまで防止できるか」を予知しようとするのです。このような全く未知の命題を探る、まさにソクラテスのアナムネーシス(想起)の方法としたのです。
徹底的に調べていくと数年で、「どのような処置がどのくらいもっているか」だんだん見えてきました。同じような処置なのに、案外と思われるほど長もちしているのもごくたまにみつかり、何が明暗を分けるのか、「どこか感じが違う」「清潔というか、スッキリしている」。健康のレペルが違うというしかないような「違い」が明暗を分けるのだと合点しました。
そういうところから「長もちの治療」は「医・患共同の生活改善作業」で、「歯だけでなく」「その人にも」対処しなければできないことが分かってきたのです。「患者丸ごと」です。生活のなかの病因除去の技術です。人間診断学と技術です。結局はその人の健康観のレベルアップです。そのために必要なのはすぺて文科の学、文学と社会学、そのつながりの学際科学です。歯科医療の特異性
そこでその長もちということが、他科でも言われているのかというと、言われていないように思うんです。風邪を引いて治った。ケガをして治った。で、「これいつまでもちますか?」などとは聞きません。これはやっぱり本質的な差が、何かあるのです。
それは「硬組織疾患の欠損は自然治癒しない」ということですね。そうすると、治療処置とは何なのかということになりますが、これは要するに包帯ですね。痛みを除き、進行を止め、そして再感染を防止する。包帯を巻いて使えるように機能を回復するのが治療処置。だから、それがとれたら元のモクアミです。
治療処置後、エナメル質が回復して薄皮でも張っているのかといえば、そんなことはありえません。削られたときのままか、かえってそれよりも悪くなっているわけです。すぐ感染を起こして痛みに替わるなどして悪化進行する。メガネや捕聴器とは、その点、全く違う。重要な治療処置です。だからやれどもやれども、すぐダメになるのでは、「歯医者へいけばぐんと悪くなる」と蔭で言うことになる。包帯のやり替えは不愉快で面倒。そこで、長もちするのがいちばん、と誰もが望むのです。
歯の治療処置は「永続包帯をすることだ」とすると、その包帯が外れないように、そしてまた横から「パイ菌が入って悪くなった!」というようなことのないように、水にも漬けないし、汚いところにも……そういう注意が患者の日常のケアですね。
だからそれらがうまくいっているかどうかによって外れたり・外れなかったり、再感染したり・しなかったり色々する。だから患者のケアで、自分で自分自身を守っていく。そういうような注意を守るという生活をずっと続けていけば、長もちするのです。
治療や修復技術には上手、下手があります。しかしその下手をすらカバーするのが患者白身の自助です。今はやりの言葉、「セルフ・ケアー」です。それが長もちさせるのです。だからそれを「いつ」「どうやって」養成して確固たるものにしてゆくかが問題なのです。その問題を引き受けることこそが歯科臨床のあり方だと思います。また歯科医はそれが得意でもあるし、得意でなければなりません。
歯科医は癒えることのない組織、欠損してゆく病気を受け持って、その特異性に早くから気づき、患者の生活の中にまで踏み込んで、健康づくりの相手を務めてきたんです。
私は保健所でも困りました。他科にはみんな、チフス菌、コレラ菌、ハクセン菌など色々あります。けれども歯医者の場合は常住細菌で、かつ弱毒非病原菌です。あるときそれが病原となる。ホストの状態と関わって、病原になってくる。そしてやられた組織は元に戻らない。そういう特殊性。だから病気の進行阻止処置を長もちさせてあげたいのであれば、自助精神を養ってゆくしかない。その自助精神こそが、ブラッシングから始まる良能賦活療法(療養法)を身につけさせるのです。
だから私のブラッシングは、「歯垢がとれるから」だけではないのです。そこのところをまちがえないでください。ブラッシングというのは、歯肉を丈夫にして抵抗力をつけさせ、組織を強化していくために行うのです。弱さというものをなくして「丈夫にする」「真の健康にする」のが目的なのです。
だから、歯垢をとるということだけを目的にしたブラッシングでは、半分しか点数を上げられません。歯肉強化をどのようにやっていくか。はじめは「プラークとり」がわかりやすい目標です。1週間で組織が反応してよくなる。それをみつけ出して、そこを認めさせて励ますのが順序です。それからあと、自分で自分の身体を守ってゆくという、そのような考えの元での行動が起これば、それが長もちさせていくのですね。
長もちしていけば、62歳から始めたのでも、86歳まで自分の歯で総義歯にならないでやっていけた(症例7)、他の60歳で始めた患者も、30歳であったのも、20歳であったのも大丈夫、80歳までいけるようにしてあげられる。80歳までの先を見越して、大丈夫なように仕上げてあげられます。
それと同時に症例7の人は、他の病気をしてません。他の病気を治してしまいます。それが歯の健康回復を通して、全身の健康をつくる歯科医・歯科医療のあり方なのです、いま済ませた治療は、そのための準備です。だから「セットがスタート」だともいえるのです。歯科がやってきた、そういうことを他科がこれからやっていくようになるんです。先進国並みになったわが国では、チフスやコレラや天然痘はどこかにいってなくなって、今は動脈硬化や糖尿病などが問題ですが、これらは手術で治りますか?原因菌ってありますか?抗生物質、降圧剤、血糖降下剤などの薬剤だけで根治できますか?そこから生活を改善して、はじめて健康に戻すことができるのです。歯科に似てきたのです(違うのは修復・補綴で、これは重要な間題ですがここでは省きます)。
病因除去の根本は生活改善をすることしかないのです。だから患者を丸ごとコントロールしてゆかなければならないのですが、そのやり方が分かっていないと思うのです。生活全体のなかに原因があるのです。それをよく弁えるように仕向けて、自分で生活を変えていくようにする。つまり文明のいき過ぎ、それを生活のなかでコントロールしていく。そういう態度にしてしまわないと、病気はみんな治りません。
どうすればよいか?誰かに教わりたい、教えて欲しい、一番よく知っているのは歯科医ですよ。
歯科疾患の特徴である「自然治癒力のない弱毒常住細菌とのかかわり方」である歯科医療、再燃再発を最少に治め、機能を回復して本当の抵抗力を作りあげていく、こういった考え方こそが病気を治していくものだとするならば、これからそのような治療の進め方を、他科の医師が歯科医に習いにくることがあってもいいはずじゃないかと思います。
医療のパラダイムの転換を、行動と成果によって医療全般に指導できる立場となると、まあ病院でいえば歯科医が院長の職籍になると思います。おわりに
最後にもう1つお話しておきたいのは、私がここに立たされた理由についてです。とにかく私はいちばんの年寄りです。そのことからいちばん長い読者であったということ。その上に何十回も編集者のご意向に応え、論文でお答えしたこと。その2つから読者の代表とみなされたとしか思えません。
だとすると、この多くの医療現場の人達に、年寄りでないとわからないこと、つまり20年、30年と経過した治験例、特に結果の状況について語ることが私の責務であると考えたわけです。
それは、あなた方もウソをついているんじゃないかと思うからです。「いつまでもちますか?」と聞かれて、チョロッとウソが出てくるのではありませんか。信頼というものはウソからは生まれません。語られた言葉が刻々そのとおりになると、納得できるものです。「誠の言葉」が信頼を生むのです。ウソとデタラメは信頼をなくします。だから少しでも「誠の言葉」がいえる材料にと、私の長期経過の実態をみてもらったわけです。「どうかみなさん、多くの治験例について、長期経過の結果を知ったうえで返事をしてください」と申しあげたいのです。もう一言、カツコいいことを言わせていただきます。年寄りは長い年月を過ごしてきました。時が過ぎるの「過ぎる」という字は「過る(あやまる)」―過ちともなります。長い時を過ごすなかで、過ちも多かったということです。まちがったことをやってきたというのとは違います。
ヒポクラテスの箴言第1章にも、「経験は過ち多く……」とあるように、医者も患者も両方とも良いと納得して、ある処置を行った。それはそれで良かったと思う。ところがその処置が、ある時間が経ったら、悪くなる場合があるんです。その悪い結果を認めなければなりません。それが「過ち」になるのです。なぜなのか。医者と患者の「行い」が「適度」でなかった。足りなかったときもある。しかし多くは熱意のあまり「度」を過ごしていたからだと思います。「過ち」とは「度」を過ごすことに多いと思います。
「度」というのは「目盛」です。物を計る尺度ですね。その物差しは、精神的、感覚的な問題、いわゆる人文科学的な方面では使いません。自然科学だけです。だから人間の暮らしのなか、間が生きていくなかで、人文科学的な「要素」と「知識」と「力」が非常に重要だということを考えると、この面での「度」を過ごさないことを非常に気にしなければならないのです。
任務を果たせたかどうかの反省を含め、「過ち」ということを考えなきゃーならないと思うんです。ですから、今はいい。今はうまくいっている。しかし明日はダメになるかもわからない。その「時間の経過の保証」を考え抜いて、一生の問、責任をもつ覚悟で「誠の言葉jを語る。これがプロフェッションです。 例えば先ほど見ていただいた症例1のように、咬合面があれだけなくなるんです。その時に咬合面のあの組織より硬いもの、例えばポーセレン、そういうものが並んでいたらどうでしょう。その時はいいかもしれない。だが後でどうなりますか。「非常に嬉しいと喜ばれること」をやりたい一心でやった、それが案外「度」を過ごすことになるのです。必ず「良かった」「好きだ」「得意だ」と思うことで度を過ごしてしまうのです。ですから、あくる日からでも、その結果を見るようにしましょう。最後まで責任を持とうではありませんか。そういう姿勢が一番過ちを少なくする方法だと思うし、未来を展望し、良果を遺すことになると提言したいのです。
医療者はまちがいがあってはなりません。だからピポクラテスは箴言の第一に「われわれの一生は短い」,そして医療、医学(アート)というものは「非常に奥深い」、明日やれば取り返せるというほど「明日」は長くない、と言い、次に「好機は過ぎ去りやすい」「決断はむずかしい」、そして一生、医療のなかの「過ちが多い」ということを注意しております。
できるだけ過ちを少なくするために、出版社の方も気をつけていただきたいと思います。ホヤホヤのピカピカの「よくできた、きれいにできた」という症例ばかりを取り上げないで、その10年後、20年後、30年後、40年後、正しく健康を守っていく方法であったかどうかを示して、教えて欲しい。 ニュース・ペーパーではなく、学術誌である使命の重みをもって欲しいのです。現在、この点でも歯科界をリードしている「歯界展望」にはますます抜きん出て、それを誇りとして欲しい。
そうやって教えていただければ、みんなが今後過ちを繰り返すことなく、患者を幸せにできると思います。
歯科衛生士も案外、憎まれている面があります。「鬼のように思っていた」という患者が非常に多いのです。それをなくすことができると思います。「本当に優しくて援助してくれるいい人です」というように変わっていくと思います。それでこそ、われわれの子孫は本当に繁栄していくのではないかと思います。
このような大きな表題でお話しさせていただいて、お役に立ったかと心許ない思いをしておりますが、これで終わらせていただこうと思います。
どうもご静聴ありがとうございました。歯界展望別冊/歯科臨床*限りなき未来のために 1990年5月20日発行